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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2933号 判決 1983年9月08日

第一九六四号事件控訴人・第一九八四号事件被控訴人・反訴被告(一審原告) 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 奥田一男

大場勝男

第一九六四号事件被控訴人・第一九八四号事件控訴人・反訴原告(一審被告) 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 鈴木禧八

主文

一審原告及び一審被告の本件各控訴をいずれも棄却する。

一審被告の反訴に基づき、一審原告と一審被告を離婚する。

一審被告は一審原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五八年五月一三日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

一審原告のその余の当審における新請求を棄却する。

一審被告の反訴請求中、慰藉料請求の部分を棄却する。

財産分与として、一審原告は一審被告に対し金一五〇〇万円の支払をせよ。

控訴費用は、本訴反訴を通じこれを二分し、その一を一審原告の、その余を一審被告の各負担とする。

事実

〔当事者双方の求める裁判〕

(一)  一審原告(以下「原告」という。)

「(1) 原判決を次のとおり変更する。(イ)原告と一審被告(以下「被告」という。)を離婚する。(ロ)原告・被告間の長男一郎の親権者を原告と定める。

(2) 被告は原告に対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年五月一三日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ(当審における新請求)。

(3) 被告の本件控訴を棄却する。

(4) 被告の反訴請求を棄却する。

(5) 本訴及び反訴に関する訴訟費用は第一、二審とも被告の負担とする。」

との判決

(二)  被告

「(1) 原告の本件控訴を棄却する。

(2) 原告の控訴審における新請求を棄却する。

(3) 原判決を取り消す。原告の離婚請求を棄却する。

(4) 原告と被告を離婚する。原告・被告間の長男一郎の親権者を被告と定める。原告は被告に対し、金四〇〇〇万円及び内金一〇〇〇万円に対する反訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ(当審における反訴請求、財産分与申立)。

(5) 本訴及び反訴に関する訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。」

との判決

〔当事者双方の主張〕

次のとおり訂正し、当審における新主張を付加するほか、原判決事実摘示中「主張」の項のとおりであるから、これを引用する。

一  主張の訂正

(一)  原判決三枚目表一九行目の「A地区管理部」を「A地区管理部長」と改める。

(二)  同四枚目裏八行目の「局を混乱させる」を「局が混乱させられる」と、一〇行目の「このごろ」を「このころ」とそれぞれ改める。

(三)  同八枚目表四行目の「応待」を「応対」と改める。

(四)  同九枚目表八行目の「やり直さざる事態」を「やり直さざるを得ない事態」と改める。

二  当審における新主張

(一)  原告

(1) 原告の慰藉料請求の請求原因

原告の離婚請求の請求原因として述べたとおり、原告は被告との婚姻関係を被告の種々の行為によって破綻せしめられ、これによって多大の精神的苦痛を被った。右精神的苦痛に対する慰藉料の額は、二〇〇〇万円をもって相当とする。よって、原告は被告に対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年五月一三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(2) 反訴請求原因に対する認否

反訴請求原因(イ)は認める。同(ロ)のうち、原告の母や姉が被告に対し好意的でなく、そのために原・被告が原告の母との別居を余儀なくされたこと、原告がたびたび被告に対し乱暴を働いたことは否認し(ただし、原告が被告に肋骨々折の傷害を与えたことは認める。)、その余は認める。同(ハ)の事実は認める。同(ニ)のうち、原告が乙山春子を同伴して帰宅したこと、原告が被告から乱暴を受けた旨所沢警察署に通報し、警察官に家まで来てもらったこと、青梅厚生病院の医師が被告の診察に来たことは認めるが、その余は否認する。同(ホ)のうち、被告が生活費に窮したことは否認し、その余は認める。同(ヘ)のうち、原告が離婚の調停の申立をしたこと、この調停が不成立に終ったこと、原告が長女花枝を殴って負傷させ、花枝が入院したこと、花枝の入院状況及び就学状況の点は認め、その余は否認する。同(ト)のうち、原告が被告と別居したこと、原告が被告に対し毎月一二万円を送金していることは認め、その余は否認する。原告が被告と別居するに至った事情は、本訴の請求原因において述べたとおりであって、むしろ被告が原告を追い出し、遺棄したのである。また、原告は被告に対し、前記の定額の送金のほかに、入学金等の学資、冷蔵庫の代金等種々の送金をしている。同(チ)は争う。原・被告の婚姻関係の破綻の責任の大部分は被告にある。同(リ)は争う。同(ヌ)のうち、原告が(a)・(b)の土地・建物を所有していること、右土地・建物が阿佐ヶ谷の家を処分した代金で取得したものであること、原告が昭和五一年に電々公社を退職し、その後B警備保障株式会社に勤めていることは認め、その余は否認する。同(ル)は、争う。

(二)  被告

(1) 原告の離婚請求の請求原因に対する反論の補足

原告と被告との婚姻関係は、昭和四八年八月九日原告が浦和家庭裁判所川越支部に夫婦関係調整の調停の申立をしたころまでは、決定的に破綻するまでに至っていなかった。すなわち、原告と被告とはまだ同居しており、被告は右調停においても夫婦関係を円満なものに戻したいと懇請していたのである。ところが、昭和四九年一月一五日ごろ、原告が長女花枝を殴打し、重傷を負わせたため、右調停は不成立となり、更に、花枝が、右負傷による身体障害のために私立高校へ進学せざるを得なくなった場合の学資のことで原告を問いつめたことがきっかけとなって、原告は同年一二月六日ごろに家出をしてしまった。右は、花枝の看護に追われている被告を悪意で遺棄したものであり、これによって婚姻関係の破綻は決定的なものとなったのであるから、原告は、右破綻について専ら、あるいは少なくとも主として責任を負うべき立場にある。したがって、原告の本件離婚請求は理由がない。

(2) 反訴の請求原因

(イ) 本訴請求原因にあるとおり、原告と被告とは婚姻し、その間に二児をもうけたものである。

(ロ) 原告は長男であり、父は早く亡くなって中学生のころから母の手一つで育てられて来たため、被告との婚姻生活も母と同居する形で開始されたが、原告の母や姉は初めから被告に対し好意的でなく、このため原・被告は原告の母と別居することを余儀なくされた。このことは原告にとって精神的な負担となっており、このため、原告は、次第に酒を飲んでは被告を殴ったり物を投げつけたりして荒れるようになり、昭和四四年九月ごろには被告に肋骨々折の傷害を与えたことがあった。

(ハ) 昭和四六年に原告は埼玉県所沢市に住居を新築して入居し、原告の母もこの家の離れに住むようになった。

(ニ) 昭和四八年三月六日夜一一時ごろ原告が乙山春子C電話局長を同伴して帰宅した際に被告がそれを迎えなかったことに端を発して、被告は原告から種々難詰され、乙山局長からも激しい言葉を浴びせられたので、思い余って原告の上司でかねてから知っていたA地区管理部長に個人的に相談した。それが客観的に見て穏当な行動ではなかったとしても、それは単に被告の社会性の乏しさに基づくものにすぎない。ところが、右の出来事があって以来、原告は、何とかして被告を精神異常者に仕立てあげようと企て、同年三月二〇日、そのような事実がないのに「被告から乱暴された。」と所沢警察署に通報して警察官を駈けつけさせ、また、その翌々日には精神病院の医師を連れて来て被告を入院させようとしたが、被告がこれを察知して逃げ出したため失敗した。

(ホ) 同年五月一〇日ごろ、原告は姉の所へ行くと言って家を出たまま七月中旬まで戻らず、この間被告は生活費に窮し、原告の勤務先に連絡しては生活費の送金を受けなければならなかった。

(ヘ) 同年八月九日原告は夫婦関係調整の調停の申立をしたが、右調停事件の係属中の同年一二月二五日及び翌四九年一月一五日に、飲食した原告は些細なことから中学二年生の長女花枝の頭部や顔面を手拳で滅多打ちにし、このため花枝は髄液漏で同月末から翌二月二八日まで入院治療を余儀なくされた。花枝は、退院後も相当期間学校を休むことを余儀なくされ、このため中学の卒業が一年遅れ、その後においても体調が思わしくない。

(ト) 原告は、右のような状況の下で、前記のとおり家出をし、以来今日まで約八年間戻っていない。右は甚しく無責任な行為であり、その結果原・被告の婚姻関係は決定的に破綻し、また、被告は、育ち盛りの二人の子を抱えて原告からの毎月一二万円の送金では生活できないので、自ら働きに出て子供たちを育てることを余儀なくされた。

(チ) 原告の長期にわたる家出は、民法七七〇条一項二号の「悪意の遺棄」に当たるものというべきであり、仮にそうでないとしても、原告が被告を精神病者に仕立て上げ精神病院に入れようとしたこと、原告が飲酒のうえ妻子に加えた暴行、前記の長期にわたる家出、右家出中の昭和五〇年七月に原告が本件の離婚の訴えを提起したこと等は、同項五号の「婚姻を継続し難い重大な事由」に当たるものというべきであり、婚姻関係破綻の主たる原因は原告にある。よって、被告は、原告との離婚を請求する。

(リ) 上記のように、被告は原告と婚姻して以来二六年間にわたり苦労を重ねた挙句、五二歳の今日に至って離婚せざるを得なくなったものであり、これによる精神的苦痛は多大である。よって、被告は原告に対し、慰藉料一〇〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の翌日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(ヌ) 原告は、現在少なくとも次の財産を所有している。

(a) 埼玉県所沢市《地番省略》

一  宅地 二六六・九三平方メートル

(b) 同所同番地三

一  木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅

床面積 一階 一二二・八七平方メートル

二階 三九・九三平方メートル

(c) 貯金(預金) 金一五〇〇万円

右(a)、(b)の土地・建物は、昭和四六年に原告固有の財産(阿佐ヶ谷にあった借地上の建物)を処分して得た金を基に取得したものであるが、それが今日も原告の財産として維持されているのは、右(a)、(b)の土地・建物に居住している被告が乏しい家計をやりくりして協力したからにほかならない。また、(c)の貯金(預金)は、昭和五一年六月三〇日電々公社を退職するにあたって支給された退職金であり、これにつき被告の寄与が存することは明らかである。

また、原告は、電々公社を退職したのちB警備保障株式会社に勤務し、退職金以外の貯えも有しているのに対し、被告は全く無資産であり、今後もパートタイマーとして働く程度しか収入の途はない。

以上の諸点を考慮すると、原告の被告に対する財産分与は金三〇〇〇万円をもって相当とするから、原告に対し右金員を財産分与として被告に支払うべき旨が命ぜられるべきである。

(ル) 原・被告間の長男一郎の親権者は、同人の原告に対する反感が強いことからみて、被告とするのが相当である。

〔証拠関係〕《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、原告(大正九年二月二九日生れ)と被告(昭和五年六月一五日生れ)とは昭和三三年四月二二日婚姻の届出をした夫婦であって、その間には昭和三四年六月一五日長女花枝が、昭和三八年五月四日長男一郎が出生した事実が認められる。

二  《証拠省略》を綜合すると、原・被告の婚姻から別居して今日に至るまでの間の経緯として次の(1)ないし(13)のとおりの事実を認めることができる。

(1)  原告と被告は知人の紹介で知合い、昭和三一年四月八日に結婚式をあげた。当時、原・被告は、職場は別ながらいずれも日本電信電話公社の職員であった。

(2)  原告と被告の婚姻生活は、同居した原告の母や、既に他に嫁していた原告の姉たちと被告との仲が円満でなかったこともあって、はじめから順調でなく、被告はしばらく実姉のところへ行ったり戻ったりしてから、一年足らずでアパートを借りて単身別居するようになった。もっとも、原告は当時ひんぱんに被告のアパートを訪れており、その後、昭和三三年一月原告が福岡に転勤したのを機会に、被告も勤めをやめ、原・被告二人の生活をするようになって、しばらくは一応平穏な夫婦生活が継続していった。しかし、その間にも、原告の母への仕送りのことや、これと関連して生活費のこと、被告が同じ社宅の主婦と仲たがいして原告が上司から注意されたこと、生まれた長女が被告の掃除しているところで土間に転落してけがをしたことなど、そのときには決定的な対立を来さないで済んだものの、後日における原・被告の疎隔の遠因となったと思われるいくつかの出来事があった。

(3)  原告の東京転勤で原・被告は昭和三七年一月ごろ東京都杉並区の原告の母のところへ移り、一か月ほどで中野の社宅へ移り、一年ほどで市ヶ谷の社宅へ移り、昭和四六年に所沢市に家を新築して移り、原告の母もここへ同居するようになった。

(4)  その前後から原・被告の不和ははげしさを増してきた。その主な原因となったのは、一方において、被告が対人関係に円満を欠きがちで、一見常識に欠けると見られるほど一方的に他人を攻撃することがあり(その例をあげれば、冷暖房工事のトラブルで工事した会社の責任者を呼びつけながら朝から夕方まで待たせたり、来客を嫌って原告が部下を自宅へよぶのに難くせをつけ接待しなかったり、電話交換手の応対のことで原告の制止を聴き入れず原告の知りあいの局長に抗議したりした。)、しばしば原告を困惑させてきたこと、被告が原告の母を嫌い、原告が母の面倒をみることについてガスの元栓をしめるなどいやがらせをしたことであり、他方において、原告がこのころから飲酒の度を過ごし、しばしば被告を殴打する等の暴行を加えるようになったこと(被告は昭和四四年に肋骨々折の傷害を負ったこともあった。)、被告としては、福岡にいたころ原告の母や姉たちが原告に対し手紙で離婚をすすめたことなどを考えると原告の母との同居にがまんできなかったことであった。

(5)  昭和四八年三月六日の夜、当時D電報電話局長であった原告は、会議の帰途、同じ会議に出席したC電話局長乙山春子らといっしょに飲酒し、相当おそくなって乙山局長を同伴して帰宅した。長女が出迎えたが、原告と同局長は肩を抱きあって玄関を入り、そのまま長椅子に坐る状態であった。被告は、同局長の来訪を不快に思い、原告が酒食の接待をしろというのにも応ぜず、乙山局長は以前自分の上司であった人でもあったにもかかわらず長男に命じて茶菓を出したのみでとうとう同局長の前に出なかったので、原告はやむをえず同局長に帰ってもらった。そのあと、その夜のうちに被告は乙山局長の自宅へ二回にわたって電話し、「女のくせに、夜、男の家をたずねて恥ずかしくないのか。」など激しい言葉で同女を非難した。翌日、被告はさらに乙山局長に電話をして「わび状をかけ。」などといって前夜同様同局長を攻撃し、そのことで原告の上司に当たるA地区電気通信管理部長丙川春夫に電話をかけ、さらに直接訪問もし、心配して訪ねて来た仲人の丁原夏夫の説得に対しても、興奮して反発し、乙山局長にわび状を書かせるとか、東京電気通信局長に電話するとか、週刊誌に投書するとか息まいていた。

(6)  原告と被告の仲はそのころからいっそう険悪になった。原告の主張する、出勤用の背広等の衣類をかくされたり、寝具に泥をまかれたりしたという事態は、それらが被告によって生ぜしめられたことを認めるに足る十分な証拠はないにしても、被告が原告の日常の生活の世話をまるでせず、非協力的になっていたことを推認させるものであり、原・被告の生活においては、夫婦の協力による共同生活の実はほとんど失われていたものと認めることができる。

(7)  同年三月二一日午前零時ごろ、被告は就寝していた原告を起こして所沢市の土地・建物を被告の所有名義とする旨の書面を作成するよう要求し、原告がこれを断わったところ、被告は原告につかみかかり、原告は電話で警察官の出動を求めるという騒ぎとなった。

(8)  以上のような被告の状態から、原告は被告が精神に異常を来しているのではないかと考え、警察の助力を得て同月二二日青梅厚生病院の精神科の医師に来診してもらったが、医師が鎮静剤の注射をしようとしたところ、被告はこれを拒否して逃げ出した。この出来事は、被告の原告に対する不信感を増大させるとともに、夫婦間の信頼関係にもとづく共同生活への復帰の可能性をいっそう少ないものとした。

(9)  原告は、被告との共同生活に耐えかね、同年五月単身家を出て板橋区下赤塚にアパートを借りたが、被告が局やアパートへ電話してきたりするので三か月位で所沢の自宅へ戻った。そのころ、被告は電話の応対が悪いといって局へおしかけて来て、戊田秋夫庶務課長にわび状を書かせたことがあった。

(10)  原告は、同年八月九日離婚を求めて調停を申立てたが、被告は離婚に応ぜず、いかなる合意も成立しないまま昭和四九年一月末調停は不成立に終った。

(11)  原告は、飲酒のうえ、いずれも些細なことから、昭和四八年一二月二五日及び昭和四九年一月一五日に当時中学二年生の長女花枝の頭部や顔面を手拳で殴打した。このため花枝は髄液漏で同月終りごろから翌二月終りごろまで入院治療を余儀なくされ、その後も経過がはかばかしくなくて学校を休むことが多く、結局中学三年を一年よけいにかけて履習せざるを得ない破目におちいり、その後も現在に至るまで体調が思わしくない。このことは被告や花枝が原告を非難攻撃する材料となり、原・被告間の関係が一層悪化する原因ともなった。

(12)  原告は、調停による離婚というかたちでの早急な解決の途を断たれ、また、昭和四九年九月から一〇月にかけて網膜剥離により入院したのちの安静を要する状態の中で原・被告の不和による日常生活の不便や被告や長女の原告を非難攻撃する言動に耐えかね(被告及び花枝は、花枝が負傷により学業不振となったので高校への裏口入学に必要な資金として三〇〇万円出すよう原告に要求し、花枝は右金員をそろえてくれなければ自殺すると原告に告げた。これをめぐる争いが原告の家出の直接の契機となったものである。)、同年一二月六日ごろ、単身家を出て被告やこどもたちと別居し、今日に至っているが、もはや原・被告が夫婦として円満に共同生活を営むことは期待できない、と考えており、被告との離婚を強く求めている。原告は日本電信電話公社を昭和五一年六月三〇日付で退職し、同年七月五日からB警備保障株式会社に入社した。原告は被告に対し、調停継続中に原・被告本人、双方代理人が協議して定めたところに従い、一か月金一二万円以上の婚姻費用を送っている。

(13)  被告は、原告が出た後も、ひきつづき所沢市の前記建物に長女、長男と共に居住し、長女は高校卒業後体の具合が思わしくないことから家に居り、被告は働きに出ている。被告は、婚姻関係破綻の責任は原告にあり、自分には離婚させられる理由はないという理由で原告の離婚請求に応じたくないが、現在では原告との円満な共同生活の回復を断念し、自ら離婚を求めるに至っている。

三  前記二の(2)ないし(13)の各事実を綜合してみれば、原告と被告はすでに長期間にわたって継続して別居している上に、現在もたがいに相手方を非難攻撃することに急で、相互の信頼関係も愛情もみられず、両者の関係は、回復しがたく破壊された状態にあるものと認めざるを得ない。

四  そこで、右のような婚姻関係の破綻について、原・被告のいずれが責任を負うべきかの点を検討する。

本件においては、原・被告とも相手の精神異常をいうが、医学的にその域に達していると認めるに足る証拠はそのどちらについても存しない。また、原・被告の心理的疎隔を生じた原因の一つが原告の母の被告に対する態度や言動であり、これによって被告が傷つけられることが多々あったことは認められるにしても、原告が母の側に立って被告と対立することが多かったことは老齢の親を思い、あるいは親に遠慮せざるを得ない自然の情から出たものであろうから、これについて原告をあまり強く責めるのも酷であるし、逆に、被告が原告の母を快く思わず、それが原告に対する言動に現われたとしても、夫婦間のことであり、本件の程度では被告を強く責めるわけにはいかないであろう。

本件において被告が特に責められるべき点は、昭和四八年三月六日夜の乙山局長の来訪時及びその直後の同局長に対する言動、及び右来訪に関連して被告が周囲の者、特に原告の上司等勤務先関係の人々に対してなした電話、訪問等の言動であろう。その夜の原告の態度や乙山局長の夜間訪問等の言動に若干被告に対する配慮に欠ける点があったとしても、社会人としての常識を甚しく逸脱したものがあったかどうか疑わしい。ところが、これに対して被告のとった非難、攻撃の手段、態様、程度は異様の感を与えるほど執拗、激越であり、ために、前記のとおり電報電話局長という地位にあった原告としては、職場関係においてその面目を大いに失墜し、甚だ肩身の狭い思いをさせられたことが明らかであるから、右行為についての被告の責任はかなり重いといわなければならない。

逆に、原告の責められる主要な点は、被告に対する度重なる乱暴と、長女花枝を殴打して負傷させた行為とであろう。被告は、原告が昭和四九年一二月に家出をしたことが悪意の遺棄に当たる旨主張するが、前記認定事実によれば、原・被告間の婚姻関係は、昭和四八年三月ごろには相当深刻な危機的状態に陥っていたものであり、その後同年五月からの一時的別居、八月の原告による調停申立を経て、遅くとも同年一二月ないし翌四九年一月に原告が長女花枝を負傷させ原・被告の反目が一層激しくなったことにより決定的に破綻するに至ったものと認められる。したがって、そののちの昭和四九年一二月にされた原告の家出は、むしろ右破綻の結果であって、その原因ではない。また、原告が精神科医に被告を診察させたことは前記のとおりであるが、原告が被告を精神異常者に仕立て上げて精神病院に入院させようと企てたとの被告主張事実は、証拠上肯認し難い。

右においてとりあげた以外にも、前記認定のとおり、原・被告のいずれにも思いやりを欠き、相手方を傷つける言動が多々あり、これらが相互に影響を及ぼし合って婚姻関係の破綻に至っているのであるが、総体的にみて原・被告それぞれの責任の程度を考えると、前記のように、本来夫婦間で解決すべき問題を、格別の理由もなく、かつ極めて不穏当なやり方で原告の職場に持ち込み、これにより自分の方から夫婦間の信頼関係を断ち切った被告の責任の方が若干重いと認めるのを相当とする。

五  以上によれば、婚姻関係を継続し難い重大な事由があることを理由とする原告の本訴離婚請求は理由がある。また、被告は婚姻関係の破綻につき原告以上に責任があること前記のとおりであるが、原告自身が被告との離婚を請求している本件においては、右の事実は被告の婚姻関係破綻を理由とする離婚請求の妨げとはならないものと解されるから、被告の反訴による離婚請求も理由がある。

六  第三、第四項で認定判断したところによれば、被告は原告に対し、本件婚姻の破綻につきより大なる責任を有するものとして、これにより原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料を支払うべきである。その金額は、前記のとおり婚姻関係の破綻については原告にも相当程度の責任があること、その他諸般の事情を考慮し、一〇〇万円をもって相当と認める。他方、右に認定判断したところによれば、被告の反訴による慰藉料請求は理由がないものというべきである。

七  次に、被告の財産分与の申立について判断を加える。

《証拠省略》によれば、原告は、昭和一三年に逓信省に入り、その後機構改革により日本電信電話公社に勤務し、前記のとおり昭和五一年六月に同公社を退職してB警備保障株式会社に入社したが、同公社における昭和五〇年の一年間の給与額(手取り)は五一九万九二〇六円、五一年の退職まで六か月間の給与額(同上)は二七一万七九二三円であり、B警備保障株式会社における昭和五七年の一年間の給与額(同上)は三四三万一七八〇円であること、公社退職後の原告は、右給与のほかに退職年金を受けており、その昭和五七年の一年間の受給額(同上)は二三八万四二八七円であること、公社退職の際、原告は手取額一六四三万四二四五円の退職金を受領し、右退職金のほぼ全額をそのまま貯蓄していること、原告の母は現在姉が面倒をみており、原告はアパート住いをしていること、被告が現在子どもらと共に居住している所沢市の宅地(二六六・九三平方メートル)、建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅、床面積一階一二二・八七平方メートル、二階三九・九三平方メートル)は、原告の固有財産である東京都杉並区《地番省略》の土地を処分した代金で取得したもので、右宅地の現在の時価は四〇〇〇万円を下らず、右建物の時価は明確ではないが、昭和四五年におけるその新築代金が一〇一六万円であったことやその床面積からみて五〇〇万円を下ることはないこと、被告は格別の資産を有せず、現在会社事務員として働いているが、既に五〇歳を越えていること、以上の各事実が認められる。

右認定事実に基づき、本件離婚における財産分与をいかなる内容のものと定めるべきかを検討すると、本件では婚姻破綻を原因とする損害賠償請求が財産分与の申立とは別個になされているから、財産分与の内容を決するにあたって考慮すべきは、夫婦間の財産関係の清算と今後における当事者双方の経済的な生活基盤の確保の二点である。このうち、財産関係の清算については、前認定のような婚姻の期間等の事実関係に照らし、原告の受領した前記退職金のうち三分の一程度は被告の寄与によるものとみるのを相当とする。これに対し、前記所沢市所在の宅地、建物は原告の固有の財産であり、これらを維持するについて被告が格別の寄与をしたことを認めるべき証拠もないから、これらは清算の対象とはならないものというべきである。次に、今後の当事者双方の生活の経済的基盤を考えると、原告は、既に六三歳に達してはいるが、前記宅地、建物を所有し、前記退職年金も受給しているので、この先長く現在の勤務を続けることはできないとしても老後の生活につき経済上の不安はないとみられるのに対し、被告については、本件離婚が成立すれば所沢市の家を明け渡さなければならなくなることでもあり、その資産からいっても、職業・年齢等からいっても、今後の生活の維持につき多大の不安が存するものといわなければならない。以上に加えて、別居後における原告の被告に対する仕送りが必ずしも十分なものであったとはいい難いことその他本件に顕われた一切の事情をも考慮すると、財産分与として、原告は被告に対し金一五〇〇万円を支払うべきものというべきである。

八  原・被告は、それぞれ離婚請求に附帯して長男一郎の親権者を自己と定めるよう求めているが、一郎は既に成年に達したので親権者を定める必要はない。

九  よって、本件各控訴は理由がないからこれを棄却し、原告の当審における慰藉料請求は、金一〇〇万円及びこれに対する婚姻関係破綻後である昭和五八年五月一三日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でこれを認容し、その余を棄却し、被告の反訴請求中離婚請求を認容し、慰藉料請求を棄却し、原告に対し、財産分与として被告に金一五〇〇万円を支払うよう命ずることとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九二条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 下郡山信夫 加茂紀久男 裁判長裁判官倉田卓次は、退官したため署名押印することができない。裁判官 下郡山信夫)

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